代々受け継がれていくお墓。親のお墓参りの後ろ姿を見て育った子供達。そこには何事にも変えがたい心の伝承が生まれます。今では贅沢なのかもしれませんが、お墓のあり方の原風景です。
日蓮聖人のお言葉の中に『日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく、人の寿命は無常也。出る気(いき)は入る気(いき)を待事(まつこと)なし。風の前の露(つゆ)、尚(なお)譬(たとえ)にあらず。かしこきも、はかなきも、老たるも、若きも定め無き習(ならい)也(なり)。されば先(まず)臨終(りんじゅう)の事を習(なろう)て後に他事を習べし』(妙法尼御前御返事)とあります。また、孝養について『但し孝養に三種あり。衣食を施すを下品(げほん)とし、父母の意に違(たが)はざるを中品(ちゅうぼん)とし、功徳(くどく)を回向(えこう)するを上品(じょうぼん)とす。存生の父母にだに尚功徳を回向するを上品(じょうぼん)とす。況(いわん)や亡親にをいてをや。』(十王讃歎鈔)とあります。 私たちの命は何人であれ終わりを迎えます。その生きてきた記憶を留め、また後生に引き継ぐためにもお墓があります。その供養する後ろ姿は、子供達にも自然に受け継がれ、心の広い人として育ちやすくなります。 当寺院では、お墓の形が三種類あります。どの方法も、葬儀も含め49日忌の納骨まで、通常八回の法要(寺院単独で行う場合も含む)を行います。亡き人の尊厳を守り、より良いところに生まれ変わっていただくためです。